※原文の傍点は太字に変更

テレビを<聴く>経験
−杉本清と実況の修辞学−
 
                                 瓜生 吉則
 
一.杉本清の実況の「魅力」
 
 テレビの中の<声>
 テレビをつければ、われわれは世界各地で行われている様々なスポーツイベントに参加することができる。参加と言うのがおおげさだとしても、テレビの画面を通じて、サッカー、野球、アルペンスキー・・・・・・といった競技を観ることができる。だが、われわれはそのとき同時に聴いてもいる。そう、実況中継のアナウンサーの<声>を。
 
  スポーツ実況が、アナウンサーの名前でレコード化されたのは、おそらく杉本清ただひとりである。実際の馬の姿も、それらがぐるりとひと回りする競馬というゲームの映像もなしに、それを語る言葉だけが商品となった。そういう言葉を可能にしたのは、寺山修司と杉本清だけである。(中田潤 一九九一 「名人杉本清の語りでみる名馬物語」 『別冊宝島132 競馬ボロボロ読本』JICC出版局・一四四頁)
 
 杉本清。還暦を迎え、一九九七年に関西テレビを定年退職した一人のアナウンサーの<声>は現在、テレビのみならずビデオで、レコードで、そして書籍で繰り返し再生産−再消費されている。あるスポーツ番組では、生中継とは別撮りの、杉本による競馬実況を放映していた(フジテレビ系『GRADE-A』)。競馬に付随した実況として、ではなく、杉本の実況そのものが魅力(あるいは商品価値)あるものとして受け取られているのだ。
 われわれがテレビに抱くイメージから考えたとき、それはかなり奇妙な魅力と言える。われわれはテレビを「映像」のメディアとして捉えており、実況中継するアナウンサーの声に注目することなどほとんどない。テレビをめぐる議論において「(解釈可能な映像として)何が映し出されているのか」という点に賞賛・批判双方が集中することからも、テレビとは何よりも「観られる」ものなのである。端的な事例としては、「暴力・低俗」シーンをめぐる、識者たちによる侃々諤々の議論を想起すればよい。
 テレビ画面に登場しない人間の一過性の声が活字に起こされ、またビデオに録画されて解釈(鑑賞)される事態。映像の迫真性をウリにしているはずのテレビから流れ出たコトバが、音声だけ、あるいは活字だけで消費されていくことを可能にする、杉本清の実況の「魅力」。本章での議論の足掛かりは、この奇妙な杉本実況の「魅力」という代物である。
 
 杉本清の<声>
 例えば杉本はこんなコトバを競馬実況に乗せてきた。
 
  テスコガビー独走か、テスコガビー独走か、グングングングン差が開く、差が開く、後ろからはなーんにも来ない、後ろからはなーんにも来ない、後ろからはなーんにも来ない(一九七五年、第三十五回桜花賞)
 
  菊の季節に桜が満開、菊の季節に桜、サクラスターオーです(一九八七年、第四十八回菊花賞)
 
 こう書き起こしてしまうと、喧伝されている「杉本節」の魅力は喪われてしまうのかもしれない。リアルタイムで聴いてこそ杉本の実況には魅力があるのだ、と言う者もいることだろう。競馬に限らず、スポーツの実況中継には即時性ゆえの魅力がある(ワールドカップやオリンピックを例に挙げるまでもなく)ことは確かである。だが、そこで言われる「魅力」とはあくまで競技についてのものであって、実況の魅力ではない。また、競技が魅力的であれば実況もまた魅力的なものになるというわけでは、もちろんない。スポーツの「名シーン」が総集編のような形で繰り返し放映されたとしても、実況は常に添え物として扱われる。それなのになぜ、杉本の実況が時として競技(実況対象)を越えて、魅力あるものとされるのか。杉本の実況に魅惑された次のような人は、テレビを前にして、いったい何を「観て」いたのだろうか。
 
  その男は三十代半ばの編集者だが、おそらく馬券は一枚も買ったことがない。買わないのだが、酒場で私が競馬の話をしていると、「見てくれこの脚、テンポイント、だもんなあ」とか、「それゆけ、テンポイント、ムチなどいらぬ、ってんだからシビレるよな」などと、杉本アナの真似をして、ひとり悦にいっている。この人にとっての競馬は、テンポイントという馬ではなく、「テンポイントについての杉本清の実況」なのかもしれない。(中田 一九九一 一四四頁)
 
 こんな知り合いを持つ中田自身もまた、「ミスターシービーについての杉本清の実況」に魅了された過去を持つ。ミスターシービーがシンザン以来十九年ぶりの三冠馬となった一九八三年十一月十三日、新宿のラーメン屋で、中田は杉本が実況する第四十四回菊花賞のテレビ中継を「目には涙があふれ」つつ見上げていた。「しかし、ブラウン管のなかを、まるで魔法のようにスルスルと上がっていったミスターシービーの姿に泣いていたのか、それとも『史上に残るこれが三冠の脚だ』という杉本清アナウンサー(関西テレビ)の言葉に思わず涙腺がゆるんでしまったのか、そのあたりがなんだか判然としないのだ」(中田 一九九一 一四三−一四四頁)。
 
 映像と<声>との交錯
 スポーツの実況中継をテレビで観るとき、観られるべき対象はその出来事のはずである。そして出来事を人々の記憶に刻印するのは、日本のワールドカップ出場決定だとか、オリンピックでの日本人選手の金メダル獲得だとか、オグリキャップの引退レースでの優勝だとかいった、画面の中の競技の「内容」のはずである。だが、一九七三年当時小学校六年生だった一人の少年の次のような経験は、テレビの画面と実況との(主−従)関係を微妙に切り崩している。少年は、タケホープとハイセイコーがゴールの最後の最後まで競り合った第三十四回菊花賞をテレビで観ていた。
 
  たしかにあのタケホープとハイセイコーのデッドヒートはすばらしかったけれど、もしテレビの実況がなければ、小六の僕は「たんなる二頭の馬の競り合い」と受け止めただろう。ハイセイコーか、タケホープか、のリフレインが二頭の馬に生命を与え、少年に競馬を与えたのだ。(北野海人 一九九三 「杉本節の最高傑作『雪はやんだ、フレッシュボイスだっ!』」『別冊宝島178 競馬名勝負読本』宝島社・二〇頁)
 
 「さあ先頭はハイセイコー、ハイセイコーとタケホープ、ハイセイコーとタケホープ、ハイセイコーかハイセイコーか、タケホープか、ハイセイコーとタケホープ、ほとんど同時、ほとんど同時!」という、時間にしてほんの十秒程度のゴール前の実況、またその数十秒前、「三コーナーの下り、ゆっくりとゆっくりと、ゆっくりと下らなければなりません、ゆっくりと下らなければなりません」といったリフレインが、少年に「競馬」を経験させたのである。
 映像と声との奇妙な交錯。北野少年にとって、テレビ画面に映し出された二頭の馬の競り合いや、集音マイクが拾った競馬場の歓声が競馬の魅力を教えてくれたわけではない。むしろ、アナウンサーの低いトーンの声が一転し、少しうわずってリフレインされることによって、彼はテレビを通じて競馬を経験したのだ。少年には、実況の「詩的な魅力」を解釈(鑑賞)するだけの能力も、おそらくは備わってはいなかっただろう。ということは、杉本実況の魅力は、書き起こされて、つまり、様々な視点で解釈・鑑賞される段階になって初めて気付かれる類のものであるとともに、実況に接しているリアルタイムにおいても認識されている。
 本章では、杉本清の競馬実況をひとつの事例としながら、テレビというメディアに接する経験を論じる。中継の映像を「観る」ことと、実況アナウンサーの声を「聴く」こととが交錯する経験。読書とも、ラジオの聴取とも異なる、テレビ固有のメディア経験の内実を探ることが本章の論題である。
 
二.目の前の出来事/画面の中の出来事
 
 出来事を<観る>ということ
 競馬に限らず野球でもサッカーでも、大規模な競技場で行われているスポーツの状況全体を把握することは難しい。また、実験的な例を除いて、現在のスポーツ中継がひとつのカメラのとらえた映像によって構成されていることから、テレビ視聴者も出来事を特定の視点からしかとらえられない。例えば、競馬場に集う人々の多くは、ターフビジョンという大型の画面を通じて目の前のレースを「観て」いる。目の前を馬が駆け抜けていながらターフビジョンを凝視したり、ゴール時の一瞬ではなく、その再生映像がターフビジョンで流れた時点で接戦の勝敗を確認する人々の観戦スタイルは、大小の差こそあれ、カメラが切り取ってきた画面に自らの<目>を委ねている点で、部屋のテレビの前に座っている者と大差ない。
 ただしここで、競技場(出来事の現場)に身を置くこととテレビを観ることとの経験の「違い」に焦点を当てたいわけではない。テレビの実況中継を視聴する経験の内在的な位相に焦点を当てる本章において考えたいのは、あくまでテレビの実況アナウンサーとしての杉本の<声>の位置である。杉本の実況は、観客を煽ることをもひとつの目的としている競技場(特にサッカー場)の実況者のそれとは異質である。競馬場に身を置く杉本の声は、しかし目の前にいる人々には向けられていない。ナマの現場にいて目の前の出来事に立ち会いながらも、それをコトバに置換していく杉本の声を「聴く」のは、あくまでテレビ視聴者なのだ。だからまず、杉本の実況がどのように構成されて視聴者の元に届けられているのかを考える必要がある。
 
 実況と映像との重なり合い
 ラジオの実況アナウンサーにとっての「実況」とは、目の前で起こっていることを聴取者に伝えていく作業である。聴取者の<目>をまるごと委ねられた以上、自分の目で切り取った出来事を正確に描写していくこと(だけ)が要求される。だが、テレビの実況中継の場合、視聴者それぞれに<目>があることがラジオと異なる。言い換えれば、テレビの実況アナウンサーは、視聴者の委任によって生じる特権を持ち合わせてはいない。用意されたモニターの映像に合わせて実況するという杉本の実況スタイルは、こうしたメディア特性にまずは規定されている。「モニターを見てしゃべるのは邪道だという声もありますが、テレビの場合は絵と音を合わせないと意味がありません。それぞれがバラバラだと視聴者を混乱させるだけです。・・・テレビの場合はアナウンサーが気づかずに、テレビを見ている人が気づいているというのが一番悪いパターンです」(杉本清 一九九五 『三冠へ向かって視界よし』日本文芸社・一八九頁)。
 実況と映像との重なり合い。正確に言えば、映像への実況の重ね合わせ。杉本にこの実況スタイルを要請したのは、一九七三年春の天皇賞での「事件」であった。雨で視界不良の中、一番人気のタイテエムの騎手は三枠の赤色の帽子を着用していた。しかし三二〇〇メートルという長丁場、泥に汚れた馬体と帽子は、双眼鏡を手にしていても見えにくい。杉本は半ばやけくそになったように「ドロドロ、まっくろけ」と第四コーナーでの馬群を実況した。しかし杉本には判別しにくかったタイテエムの姿を、カメラは鮮明に捉えていた。画面では、馬群の外から先頭に立とうとする赤色の帽子、5番のゼッケンの馬をはっきりと「観る」ことができたのである。「タイテエムが画面で大アップになっているのに、“先頭集団に上がった模様です”と、私のほうはあやふやな表現をしています。すぐ、これは画面を見て実況をしなければと思い、以来、画面と音声の一致を心がけるようになりました」(杉本 一九九五 三九頁)。
 ターフビジョンもなかった当時、競馬場の観客は、ある者は双眼鏡を片手に、またある者は「飛び跳ねてレースを見ていた」(杉本 一九九五 四五頁)。ラジオの実況スタイルを引き継いでいた当時のテレビ実況者の例に漏れず、杉本もまた双眼鏡で馬群を確認しつつ実況に当たっていた。そのスタイルを捨てて「テレビ画面に合わせる」という「邪道」を選択することで、杉本はテレビの実況アナウンサーとしての地歩を固めていくことになる。視聴者の<目>を意識した実況を通じて、杉本は実況のひとつの形を確立したのである。
 例えば、二十頭近くの馬がかたまって走っていて、そこからある特定の馬を見つけだす場合、騎手が着ている「勝負服」の柄と帽子の色、さらに馬の背にかけられたゼッケン番号から馬名を特定する(実況アナウンサーは事前に勝負服の「塗り絵」をして馬名の確認を行う)。しかし普通の視聴者にそのような煩雑な作業はほとんど不可能である。だからこそ、注目の集まる人気馬に対して「青い帽子が行った行った行った」(一九八三年、第四十四回菊花賞)、「赤い帽子、ただ一頭、シンボリルドルフがこれから第3コーナーの坂を上ります」(一九八四年、第四十五回菊花賞)と帽子の色を挙げて視聴者の<目>を誘導したり、「さあ三頭が並んだ、大歓声、京都競馬場、さあ一着はどっちだ、一番内、ミホシンザン、外ニシノライデン」(一九八七年、第九十五回天皇賞・春)とゴール地点で馬名を確認したりする作業が必要となる。ただ漠然と画面を見つめている視聴者は、込み入った画面状況を整理する杉本の<声>によって、映し出された状況を読みとるきっかけを与えられるのである。
 正確に馬の名前を挙げていく作業と同時に、画面に表示されない情報も声に出して伝えられる。初めて大レースの実況を担当したとき、杉本は「ゴールまで八〇〇メートル、四十七秒かかりました、かなり速いペースです、桜花賞ペースです、追い込み馬が届くレース展開です」(一九六九年、第二十九回桜花賞)と、レースがハイペースであることを具体的なタイムによって示した。民放テレビの競馬中継では、画面に経過タイムは表示されない。このように経過タイムが実況の中に入れられることで、画面の中で多くの馬がただ一緒に走っているという単純な出来事は、ラップライムを駆け引きの素材とする「レース」だと枠付けされる。同じように、「さあマックスの独走、独走、一分三十一秒、三十二秒、三十三秒、三十四秒台か、大楽勝!」(一九八七年、第四十七回桜花賞)と、レコードタイムに迫る優勝馬のスピードが刻々と移る秒数で描写されたときには、「強い」「速い」といった単純な形容句に具体性が加わる。
 カメラの動きに合わせて実況するのが基本的なスタイルではあるが(杉本 一九九五 二一六−二二〇頁)、杉本の声がカメラの動きを変えることもある。一番人気の馬を追わずに、先頭を走る二頭の馬に画面がパーンしたときに「前の二頭はもうどうでもいい」とカメラマンに苦言を呈したり(一九九二年、第三十六回産経大阪杯)、馬群の外から伸びてきた人気馬を映さず、内へ照準を合わせようとしたカメラに「大外、外、外、もっと外です」と指示を出したり(一九八六年、第四回ローズステークス)した例がそれだ。こうした実況は例外的なものだとしても、杉本が「テレビ画面を意識した実況」を行っていることは明らかである。初めに伝えられるべき「情報」があるわけではない。カメラが切り取ってくる出来事を、様々な修辞によって理解の枠組みの中に収めていくことが実況アナウンサー・杉本の役割なのである。
 だからといって、杉本は単なる「画面の解説者」ではない。「モニターを見ると同時に、場内とか全体の流れとかもちゃんと見ている・・・でないと遠近感がわからないし、臨場感も伝わりません。だから絶対現場にいないとダメなんです」(杉本 一九九五 一九七頁)。画面が何を映し出しているのかをコトバに代えていくだけならば、実況アナウンサーが現場にいる必然性はない。だから杉本は、「ミスターシービーは現在シンガリ、現在シンガリで場内はどーっと来ています」(一九八三年、第四十四回菊花賞)といったように、テレビ画面に映し出されているものだけでなく、出来事が起こっている現場の状況も実況する。ナマの現場とテレビの前の視聴者とを媒介する地点に、杉本の<声>は位置している。
 
 「テレビ的」な実況
 「画面に合わせた実況」を基本スタイルにしていることから、杉本の<声>はテレビ視聴者に直截的な刺激を与えることは少ない。つまり<声>が映像を凌駕して一人歩きすることがない。その点で杉本の実況は、八〇年代のもう一人の「実況の達人」、古舘伊知郎のそれとは対照的である。プロレスやF1実況で名を馳せた古舘もまた、競技の「内容」とは別の次元での<声>の世界を構築した。プロレスラーがぶつかりあうリングを「戦いのワンダーランド」、相手の得意技をかけることを「掟破り」、師弟が相まみえる試合を「輪廻は回る糸車」と形容するコトバの錬金術は、「新日本プロレスについての古舘の実況」を「聴く」ために午後八時にチャンネルを合わせる「聴き手」を生み出した。だが、古舘の声はテレビ画面から遊離しても商品価値を持っている(つまり、コンサートホールのような場所での「実況パフォーマンス」が可能である)。それに対して杉本の声は、「詩的」なコトバが登場することはあっても、基本的にはテレビ画面に寄り添うことでしか実況とはならない。言い換えれば、映像と重なり合うことによって初めて杉本の声は実況となるのであって、声だけによってひとつの世界が構築されるわけではない。杉本の実況は、映像と声との交錯を必要条件としている点で、まさしく「テレビ的」なのである(一時的とはいえ古舘が実況の世界から離れたという事実は、彼の声がテレビというメディアに最終的には馴染まないことを傍証している)。
 
三.正確な描写/詩的な魅力
 
 「杉本節」の魅力
 ここまで「テレビ的」な杉本の実況の技術的な構成について見てきたが、次に問われるべきは杉本実況の「魅力」の起因である。ラジオ・テレビを問わず、実況アナウンサーは正確な場面描写が要請されている。既に見た通り、杉本の実況もまた、視聴者には判別しにくい画面内の「情報」を様々な修辞によって切り取って、解釈のきっかけを与えていく。スタートの様子に始まって道中のペース、馬の位置取り、そしてゴール前の攻防にいたるまでの映像がコトバに置き換えられることで、視聴者は競馬を「観る」ことができる。だが、これだけでは「実況による感動」が生み出される理由は説明できない。勝敗や記録といった客観的な事実が正確に伝えられたから、杉本の実況が魅力的になるわけではないからである。杉本の実況が「テレビ的」であると言えるのならば、それに対する感動もまた「テレビ的」と言ってよいだろう。本節では、この「テレビ的な感動」がどのように生み出されるのかを考えていきたい。
 まずは「魅力的な杉本節」として指摘される実況をいくつか挙げておこう。「テンメイ先頭、テンメイ先頭、トウメイが待ってるぞ」(一九七七年、第三十八回菊花賞)や「伊藤清章騎手が手を上げた、ハギノトップレディ、やった、見てくれ、カムイオーというところ」(一九八〇年、第四十回桜花賞)といった馬の血統に関するもの、「しかしこの二頭だ、この二頭だ、さあ、バンブーが逃げた、バンブーが逃げた、オグリが負けられない、オグリが内からすくう、内を突く、内か外か、わずかに内か、わずかに内オグリキャップか、バンブーメモリーか、負けられない南井克巳、譲れない武豊、この二頭の一騎打ちになりました、オグリかバンブーか」(一九八九年、第六回マイルチャンピオンシップ)のように、人馬のライバル模様についての実況。また、「それいけテンポイント、ムチなどいらぬ、押せ、テンポイント」(一九七六年、第三十七回菊花賞)という騎手への指示(?)や、「あなたの夢はメジロマックイーンかライアンかストーンか、私の夢はバンブーです」(一九九一年、第三十二回宝塚記念)と自分の応援する馬を堂々と開陳してしまうようなもの、さらには「いやあ恐れ入った、恐れ入りました」(一九七五年、第三十五回桜花賞)や「十九年ぶりに三冠馬を達成しました。驚いた、ものすごい競馬をしました。ダービーに次いでものすごい競馬をしました。坂の下りで先頭に立った九番のミスタシービー、勝ち時計は三分八秒一、史上三頭目の三冠馬であります」(一九八三年、第四十四回菊花賞)といった、驚きがそのまま視聴者に届けられる実況もまた「杉本節」としてよく挙げられる。
 
 「余剰」としてのコトバ
 これらは、出来事の正確な描写を目指す基本的な実況スタイルからは明らかに逸脱している。別の言い方をすれば、こうした実況では、テレビ画面には収められていないもの=「余剰」がコトバとして現出している。公共の電波の上での「私的な語り」の倫理性については、ここでは問わない。問われるべきは、この「余剰」のレベルでこそ杉本のコトバが「感動」され、「魅力」あるものと受け取られているということだ。練習を重ねれば誰にでもあるレベルまでは達成可能であろう「正確な描写」には注目が集まらず、「余剰」の部分にこそ魅力が認められてしまうこと。「テレビ的な感動」の起因は、この「余剰としてのコトバ」がテレビというメディアにおいていかに機能しているかを探ることによって突き止められよう。
 「余剰としてのコトバ」について考えるために参照できるのは、中田潤が杉本と並置した寺山修司である。寺山はまさしく「余剰」の語り部であった。「競馬ファンは馬券を買わない。/財布の底をはたいて『自分』を買っているのである」(寺山修司 一九七九 『馬敗れて草原あり』角川文庫・二九五頁)という競馬観を持つ寺山は、「スシ屋の政」や「ミス・トルコ」といった人間たちを描くことで「競馬」を語った。彼の競馬エッセイにおいて何よりも語られるべきは、競馬と切り結ばれた人間、そして何よりも「自分」であった。競馬場に集う何万もの<目>がそれぞれに観ている「レース」は、客観的な結果を皆に平等に与えるがゆえに、語られる必要がない。だから先に挙げた一九七三年春の天皇賞も、レース中の出来事は「余剰」を含まないがゆえに、かくもそっけなく語られてしまう。
 
  ・・・雨にけむる向こう正面で、スガノホマレと、タイテエムがズルズルッと下がった。スガノホマレがレース中止。タイテエムが最後方。スタンドはドッとどよめいた。しかし四コーナーを曲がると、たちまちタイテエムがよみがえった。ほとんどゴボウ抜きだった。シンザンミサキをあっさりかわし、マークしてきて、抜いて出たカツタイコウを再び振り切った。圧勝であった。(寺山修司 一九七九 『競馬への望郷』角川文庫・一一六頁 )
 
 この回顧が書かれた時点で、タイテエムが「圧勝」したことはもう過去の事実となっている。「『雨の日のタイテエムは強いなあ』と私が言うと、スシ屋の政は上機嫌で当たり馬券を見せびらかしたものだった。/『あたりまえさ。長靴をはいた馬を買うに限るんだ』と」(寺山 『競馬への望郷』 一一六頁)。寺山にとってこの天皇賞はあくまで「長靴」に推理を働かせた「スシ屋の政」を語るためのきっかけに過ぎない。逆に言えば、過去を語るコトバ(活字)しか持たない寺山にとって、自らがリアルタイムで経験した「競馬」は永遠に語り得ないものなのである。
 
 コトバへの想像力
 活字として並べて見れば、寺山と杉本のコトバは両者ともに「私的/詩的な魅力」に溢れていると解釈することもできる。「物語」として競馬を語るための修辞レベルにおいては、寺山の方が技術的にも優れていたのかもしれない。だが、二人は自らのコトバが依拠する媒体(メディア)を異にしていた。画面に、つまり絶対的な「現在」に無条件に寄り添いつつコトバを紡ぐことができる杉本と、「過去」を再構成する媒体しか持たぬ寺山との差異である。それは書籍とテレビという、モノとしての位相のみならず、媒介されるものごとの生産と消費の力動の諸相をも含み込んだ差異でもある。
 
  レースを成り立たせているのは、ファンの魂の中の「エロス的な現実」である。/それは、ファンの空想の中に、あらかじめ組み立てられた一つのレースと、現実原則によって規定されたホンモノのレースとのあいだに横たわる「時」の差である。/人は、その「時」の差に賭けるといってもいいだろう。/・・・私は現実原則によって支配される 「確かな現実」「存在した現実」よりも、常にあいまいに空想されている「エロス的な現実」「無意識的な現実」のほうに、競馬賭博のたのしみを見いだす。(寺山 『馬敗れて草原あり』 一〇三頁)
 
 寺山のこうした競馬観は、「過去」しか語りえない者たちの「エロス」を、仮想された「現在」として礼賛する。レースを即時的に描写する媒体を持っていない寺山は、もうひとつの「現在」を仮想するほかなかったのであり、だからこそ寺山のコトバには「余剰」が溢れることになったのだ。その点で、杉本のコトバがはらむ「余剰」は、寺山のそれとは異質なものとして考えておかねばならない。そして、その「余剰」に対する反応としての「感動」もまた異なっていることに留意しておく必要がある。
 では、寺山と異なり、「現在」を描写する杉本の実況が「余剰」として現出するのはなぜなのか。それは、前節で繰り返し述べた「テレビ画面に寄り添う」実況スタイルゆえである。テレビ画面に合わせて実況する、ということは、視聴者に画面解釈のきっかけを与えることでもあった。しかし画面に表示される「情報」をすべてコトバに置換することはもとより不可能である。声として視聴者に届けられるコトバに、確かに嘘は含まれていない。しかし、画面は常に−既に過剰な「情報」を含んでいるのであって、杉本の実況はその中からコトバに置換可能な部分を選択的に切り取るほかないのだ。カメラでは十頭の馬をひとつのフレームで同時にとらえられるが、声ではそれは不可能である。画面には騎手も映っていれば、砂塵や風にそよぐ競馬場の木々も映っている。それをすべて声で描写することはできない。つまり、杉本の実況は初めから画面の過剰な「情報」についていけないのである。
 この点でも杉本の実況は、「もうひとつの声の世界」を実現すべくコトバを紡ぎだしていった古舘伊知郎のそれとは異質であり、「テレビ的」である。古舘の実況は画面に映し出された状況を再構成する志向を初めから(ある程度、あるいはすべて)放棄している。それに対して「画面に寄り添う」ことを実直に目指してしまう杉本の実況は、レースがスタートして以降、徐々に画面と声との情報量の齟齬が起こり、ついには画面の「迫力」(それは情報量としての「迫力」でもある)に負けてしまう。そしてゴール直前で遂に「映像と実況との一致」を放棄し、「余剰」を語らざるを得なくなる。画面の中の「情報」(寺山の言う「確かな現実」)の描写を最終的に放棄し、語り得るもうひとつの「情報」(「エロス的な現実」)を声にすることに、実況の照準がスライドするのである。ただし、テレビの実況が最終的には映像に負けることを(無意識的にしろ)理解していたことは、二人がともに「実況の達人」と称される所以である。映像に追いつくことを初めから放棄する(つまり、「テレビ的」な実況を初めからあきらめる)か、ぎりぎりのところまで追いつこうとするかの違いこそあれ、彼らの<声>が現在に至るまで人々の記憶に残っているのは、映像と声とが交錯するテレビというメディアの経験の内実を、彼ら二人が熟知していたことの証左となろう。
 
 「杉本節」の居場所
 「杉本節の詩的な魅力」は、実況の照準の必然的なスライドがあって初めて語ることが可能となる。それは競馬という実況対象の特殊性ゆえであると同時に、テレビというメディアゆえの必然でもある。杉本のコトバに初めから「魅力」が付着しているのではない。正確な実況を基本スタイルとしている杉本のコトバが映像からズレていき、杉本個人の想像力がコトバになってしまうとき、視聴者の想像力もまた刺激を受け、「魅力」として記憶されるのである。杉本の実況は「現実原則」と「エロス的な現実」とを互換するべく、出来事と映像との間にたゆとう。テレビ視聴者は、その杉本の声を聴きながら、二つの「現実」(画面の向こうと、画面の中)を往還することで、テレビというメディアを経験しているのである。
 繰り返しになるが、「杉本節の詩的な魅力」は常に「正確な描写」を前提にして初めて成立可能となる。杉本の「私的/詩的」な実況は、目の前での出来事とテレビモニターとの狭間でコトバを生み出そうとするがゆえに、視聴者にとって描写にも詩にもなる。初めから杉本のコトバが詩として流れ出てくるわけではない。杉本のコトバを詩として再構成するのは、あくまで視聴者の想像力である。「テレビの場合は画面があるので、見ている人の想像力が広がるよう画面にないものをアナウンサーがフォローしていかなくてはなりません」(杉本 一九九五 一七一頁)と自らの実況哲学を語る杉本は、感動や興奮をあらかじめ用意しているわけではなく、リアルタイムで起こりつつある状況を描写することに専念している。専念するがゆえに、描写が映像に追いつけないとき、「余剰」が滲み出てくるのである。言い換えれば、魅力あるものとして受け止められる彼のコトバは「余剰」を目的として発せられるのではなく(その点で寺山のエッセイとは異なる)、映像と音声とが複合したメディア特性に依拠しているからこそ、「余剰」としてわれわれの耳に残るのである。
 
四.われわれは何を<視聴>しているのか
 
 映像の「分かりやすさ」
 第一節で述べたように、テレビの実況中継を視聴するとき、われわれは画面の中の出来事に関心を向けて「歴史の目撃者」たらんとするし、繰り返し放映される「歴史的事件」の映像もまた、「内容」の歴史性を再確認するために切り取られてくる(「浅間山荘事件」や「東大落城」のシーンなど)。そのとき実況の声がほとんど省みられないことも既に述べた。だが、テレビについての議論で「内容」が云々されがちであるということ、また実況を初めとする<声>が添え物扱いされてしまっていることは、逆にテレビというメディアの<視聴>の現在的なありかたを浮かび上がらせる。
 映像は「分かりやすい」。正確に言えば、「分かりやすい」とわれわれは思っている。「マス・コミュニケーション研究」において、「批判的読解」を無前提に前提する「(テレビの)リテラシー教育」言説や、映像の「真実味」に担保させて「ビデオ・ジャーナリズム」を賞賛する言説が生まれもするのは、われわれの<目>に映るものと同じような光景が画面の中にも現出していると思えるからだ。しかし、ある光景が<目>に入ることと、それを理解/解釈すること、できることとは本来別の位相の問題である。映像がある「内容」を持っているとわれわれが認識可能なのは、その映像が声(そして目に見える形では文字/活字)へと転換可能であるという認識の平面が成立しているからでもある。言い換えれば、われわれがテレビを語るときのコトバは、常に−既に「文字の文化」に依拠せざるを得ない。
 文字を読むように映像をも「解釈」できてしまうこと、あるいは「解釈」したという共通了解が成立してしまえることをめぐって、現状の「メディア・リテラシー」概念や「テレビ・ジャーナリズム」の議論は十分には答えられていない。それは、テレビについてのメディア論的な問いを想定していない、ということでもある(ここで言う「メディア論」は、論究対象として既存のメディアを取り上げるだけの「メディア研究」とは全く別種の視角である)。「内容」の倫理性への批判そのものは無意味なものではないが、「内容」が確認できてしまうことへの問いが忘れ去られるべきではない。
 本章で執拗にこだわってきたのは、書き起こされたときに「魅力」あるものと受け取られる杉本の<声>の、メディアとしてのありかただったのである。杉本は映像を解釈すべく実況に当たり、「失敗」する。彼の実況は映像の解釈にことごとく「失敗」するのである。「余剰」へと実況の照準をスライドさせることは、テレビの実況アナウンサー・杉本にとって不可避である。だが、「正確な描写」ではなく、「余剰」だからこそ、杉本の実況は無視されることもあれば感動されもする。映像に(のみ)「内容」があると前提してテレビを視聴している人にとって、杉本の<声>はおそらくノイズほどにも記憶に残らないことだろう。逆に、テレビから流れ出る<声>に敏感に反応してしまった人にとって、杉本のコトバの「余剰」性は想像力を誘発する。テレビにおける<声>が持つこの二面性に気付いてこそ、メディアとしてのテレビを<視聴>する経験の記述の可能性は拓けるだろう。
 
 <声(メディア)>はマッサージである
 「マクルーハン・ショック」とその約二十年後に訪れた「マクルーハン・リバイバル」を経験し、オングによる「文字の文化/声の文化」、さらには「読書論」という視角を既知の枠組としているわれわれは、もはやテレビというメディアを単純にメッセージ送信装置とも、「再部族化」の切り札とも見なさない(そして見なせない)地点にまで到達した。だが、マクルーハンの「予言」を一笑に付すことができるほどに、われわれはメディアとしてのテレビを真っ当に論じる方法論を手にしているだろうか。あいも変わらず映像の「内容分析」に奔走して倫理を居丈高に論じ、またテレビから流れる映像や音声があたかも視聴者を「受動的」な存在に誘導するかのごとく一刀両断に論じて、それで満足してはいないだろうか。そうしたテレビ論こそ、マクルーハンが裁断した類の「内容」偏重のメディア分析であった。テレビを<視聴>するという経験の厚みを押しつぶすことなく論じるために、われわれは今一度、テレビから流れ出る<声>に耳を澄ましてみるべきかもしれない。その<声>は「メッセージ」であると同時に、われわれの五感を「マッサージ」するメディアでもあるのだから。
 
参考文献
 
Dayan, D. & Katz, E. 1992 Media Events: The Live Broadcasting of History, Harvard Univ. Press, =浅見克彦(訳) 一九九六 『メディア・イベント 歴史をつくるメディア・セレモニー』青弓社
McLuhan,M., 1964, Understanding Media:The Extension of Man., New York: McGraw- Hill Book Company., =栗原裕・河本仲聖(訳) 一九八七 『メディア論』みすず書房
Ong,W.,1982, Orality and Literacy: The Technologizing of the World, Methuen & Co.Ltd.,=桜井直文・林正寛・糟谷啓介(訳) 一九九一 『声の文化と文字の文化』藤原書店
吉見俊哉 一九九四 『メディア時代の文化社会学』新曜社