(解説) 夏目房之介はどこにいる
 
                             瓜生 吉則
 
 批評がマンガを選ぶのか、それともマンガが批評を選ぶのか。読者の好みがはっきり出やすく、その好みに合わせた幅広い市場もまたしっかりと形成されているために、マンガを語るときには論者の恣意が入り込みやすい。何をどう取り上げようと勝手でしょ、気に入らないならお好きにやれば、という開き直りがそれなりに説得力を持ち得てしまうのがマンガ批評の面白さでもあり、また難しさでもある。夏目房之介はそんな語りの場に「表現論」を掲げて登場した。
 
 かつて、マンガの「内容」から子ども(読者)の心性を、「戦後日本社会」を大上段に語れる時代があった。「良心的」な知識人たちがマンガの低俗性や残虐性を糾弾するだけで事が足りる時代があった(数年前の「有害コミック」論争は、今なおその程度の言葉でも存在可能だという哀しい現実の一端を見せてしまったが)。そうしたマンガ批評は、マンガでなくても語れること、夏目が言う「マンガにとってはどうでもイイこと」(原書一五頁=本書※頁)に議論を終始させ、論者の主張(党派的イデオロギーを含めて)を正当化するためだけにマンガを取り上げていた。
 手塚治虫が生前毛嫌いしていたというマンガ批評とは、まさしくこうした類のものではなかったか。描線の徹底的な記号化とコマ構成の革新を実践していた手塚にとって、マンガ表現そのものに言及しない/できない議論は「批評」の名に値しなかったとも言える。夏目の次の言は、世の良心的知識人がヒステリックに叫ぶ悪書追放の声に対して「マンガ=おやつ」論を唱えなければならなかった「マンガの神様」の忸怩たる思いと見事に共振している。
 
 「作家の「思想」なんつっても、技術を含む表現が、理念を可能にしなけりゃ意味がない。むしろ、どんなごたいそうな「思想」を作家がもってようと、描線やコマ構成っていう表現が、具体的に理念を表現し得ていなければ、評価にあたいしない。だから僕はマンガの「思想」を描線やコマのなかに、その生理みたいな場所にみたいんです。」(原書一二四頁=本書※頁)
 
 「表現論」がある程度浸透しつつある(本書が「文庫」化されるのもその一例だろう)現在では、この主張はとりたてて目新しいとは思われないかもしれない。しかし、マンガを読んで抱く感動なり不満なりを赤裸々に語ってしまうことを一度留保しておくという「表現論」の立場は、戦後のマンガ批評史において決して当たり前のものではなかった。もちろん、夏目以前にも「マンガとは何か、マンガを読むとは何事か」について言及するマンガ批評は存在した。「アンチ漫画」を標榜しつつ登場した劇画に注目した石子順造や、“二四年組”を筆頭とする少女マンガに戦後マンガの新たな可能性を見いだそうとした中島梓や村上知彦、米沢嘉博らは、「どうでもイイこと」だらけの議論への違和感から、マンガ批評の新たな地平を切り開いてきた。
 しかし、彼らと夏目の「表現論」との間には、客観性への志向に関して決定的な違いがある。マンガを語る<わたし>をどこまで棚上げしておけるか、ということについての認識の度合いの違い、と言ってもよい。劇画や少女マンガの価値を見出せる<わたし>への開き直りは、確かにマンガをろくに読めていないくせに非難する声だけは大きい知識人を批判することはできたのだが、マンガ表現の図像学的な分析、あるいはマンガを読めてしまうことへの自省的なまなざしを欠いていた。それが極端に走れば、マンガ批評は議論の切れ味勝負になってしまい、共有されるべき方法論は提示されないまま、論者のみが「マンガを分かっている」ことになってしまう。
 夏目の「表現論」が画期的なのは、手塚のマンガ表現を真正面から取り上げることによって、いかにしてマンガは読めるのか、ひいてはマンガが面白いのはなぜなのかを、目に見える形で(ルビ「、」)示したことにある。人柄や生い立ち、また読者の社会的階層などはあくまで議論の補助線としておいて、まずはペンから生み出された描線とコマにこだわり、「マンガ=記号」説を唱えた手塚の表現を標本学的に解体してみること。それまでのマンガ批評が拠って立っていた(そして、わざわざ語ることのなかった)、マンガの技術的/物質的な成立要件に着目したことに「表現論」の新しさはあったのである。
 マンガとは描くことと読むこととの複合的な実践である。マンガ家も一人のマンガ読者であり、一般読者もまた紙と筆記具があればそれなりにマンガ(らしきもの)を描ける。その点で、「模写」によるマンガ批評が夏目の出発点だったことの意味は大きい。対象に似せてペンを動かしコマを切る行為が、「描かれ、読まれる」モノとしてのマンガを夏目に実感せしめただろうからである。「内容」を云々する以前に、マンガとは、ペンを握った手を動かして目に見える形にされたモノなのだ。マンガをマンガとして認識するための必要条件にこだわり続けているからこそ、「表現論」はマンガ批評に大きな風穴を開けることができた。
 文字テクストに置換可能な位相(物語のテーマ、登場人物の性格、時代設定等々)でマンガを論じることが無意味だというわけではない。しかし、その批評が説得力を持つためには、マンガ家も読者も、描線とコマ構成による約束=「マンガの文法」を身体化していなければならない。「マンガ=記号」説を導入・実践した手塚治虫を論じる「表現論」は、何よりもこの文法の成り立ちを明らかにする。本書での綿密な分析が示しているように、手塚は同時代のマンガを積極的に吸収し、ときには失敗しながら自らの表現世界を構築していった。本書が手塚論であるとともに戦後マンガ表現史にもなっていることは、批評がマンガを選び、同時にマンガが批評を選んだこと、つまり批評対象と批評の言葉との共振の好例である。
 
 「表現論」の有効性は、このように手塚マンガを議論の中心に据えることで発揮される。しかし同じ理由によって、「表現論」はある一定の限界を併せ持つことにもなる。マンガの記号性を明らかにする作業は、手塚マンガのヴァリエーション(戦後マンガのかなりの部分にあたる)の分析には非常に有効なのだが、「マンガが批評を選ぶ」事例に漏れず、非・手塚的なマンガを死角としてしまうのだ。
 大きく立ちはだかるのは、戦後マンガ界のもう一人の巨星:梶原一騎である。近年再評価の気運が高まっている梶原劇画への読者の反応は、記号性に拠ってマンガを解剖する手さばきをすり抜けていってしまう(詳しくは拙稿「メディアとしての梶原一騎 あるいは“劇画の帝王”の語り方」『ポップ・カルチャー・クリティーク@』所収を参照)。マンガの重要な構成要素として描線とコマがあることは本書で夏目が詳述している通りだが、実際にわれわれマンガを「読む」際には、描線やコマと同時にセリフとしての文字(活字)やマンガ家の実人生にも反応して面白さを感受する。そしてこの「マンガの読み方」は決して特殊なものではない。社会反映論的な、あるいは文学批評に範をとったようなマンガ批評が今なおしっかりと生き残っているのはその証拠である。「表現論」がマンガの技術論ではなく「マンガの読み方」の解明に向かうのならば、こうした読者の反応は例外としてやり過ごすことはできないだろう。
 また、「模写」という職人芸的な実感を出発点としていることも、「表現論」の今後の展開にジレンマを生み出すかもしれない。マンガを語る<わたし>をぎりぎりのところまで棚上げし、客観的な記号としてマンガ表現を標本化する作業は、マンガを論じるときの基準を提示する。だが、客観的な志向を備えているがゆえに、マンガと批評の言葉との相補的な関係=「バランス感覚」はともすれば忘れられやすい。記号論だの物語の構造分析だのが流行した苦い過去を持つマンガ批評のは、「表現論」をも瞬く間に便利な分析道具と化してしまうかもしれないのだ。夏目本人は自覚しているに違いないが、「表現論」の道具化は、自らがかつて批判した<わたし>語りを、つまり批評が一方的にマンガを選んでしまうという議論の恣意性を許容する。
 「表現論」に提唱者にその用い方の責任まで負わせるのは酷かもしれないし、「表現論」がマンガのすべてを語り尽くせるわけではないことを夏目は十分承知しているだろう。それもまた夏目の絶妙の「バランス感覚」である。もしその感覚を身につけたいのなら、本書を「知識」の集積体として読むのではなく、晩年の手塚の描線の震えに気付いた夏目に倣って、「表現論」を実感することが必要なのかもしれない。
 そこに、きっと夏目房之介はいる。