※元原稿で傍点になっているところは太字に変更

 本研究は「〈少年〉を(・)登場人物として描く物語」であり、また「〈少年〉語りかける物語」でもある物語を〈少年もの〉と定義し、出版メディア産業による演出を経て〈少年〉読者のもとに届けられる「メディア文化」としての〈少年もの〉の変容過程を考察する系譜学的な論考である。具体的には巌谷小波と『少年世界』、佐藤紅緑と『少年倶楽部』、梶原一騎と『少年マガジン』、そして『少年ジャンプ』を事例として取り上げ、明治中期から現在までの百年に渡る歴史の中での〈少年〉の「成長」の内実の変容、さらに〈少年〉読者を「教育/啓発」する〈少年もの〉の機能の変容過程の考察を行っている。この作業に際して本研究では、〈少年もの〉において描かれる〈少年〉の「成長」を「社会」の単純な感光板ではなく、様々な「意味付与/解釈の闘争」を惹起する多層的なイメージとしてとらえ、その多層性をほぐし、再び紡ぎ上げていく作業の中で〈少年もの〉を包摂する「社会」の一端が照射しうる、という前提に立って議論を進めている。つまり「メディア産業によるイデオロギーの注入・操作」−「商品を無批判に受容し踊らされる〈少年〉読者」といった単層的な図式ではとらえきれない〈少年もの〉の有り様を、「メディア文化」の生産−消費=「意味付与/解釈の闘争」という位相から考察し、その社会的布置の変容過程を辿っていくことに議論の射程は据えられている。

 〈少年〉の「成長」を積極的に描く〈少年もの〉の系譜は、巌谷小波の「桃太郎主義」がひとつの「源流」を成し、昭和初期に佐藤紅緑や『少年倶楽部』によって確立された「少年の理想主義」という大きな「分水嶺」へと継承された。この移行段階で〈少年〉の「成長」は「放胆」という曖昧な規定から「立身出世」へとその様相が具体化される。この経過に共通するのは、〈少年〉の「成長」を「教育者」として微笑ましく見つめる表現者やメディア制作者の〈少年もの〉へのスタンスである。大正期にはこの「理想主義」的な〈少年もの〉への対抗概念として「童心主義」が提唱されるが、両者の〈少年〉観には断絶というよりも共通のまなざしが内包されていた。人間のライフサイクル上の一時期固有の価値を見出されるか(“永遠の少年”讃美)、あるいは違う何かへと変化する可能性としての価値を見出されるか(“「成長」する少年”讃美)の違いこそあれ、非〈少年〉=〈大人〉にとって操作・造形可能な「理想」の身体として〈少年〉は認識されていた。そして特に「理想主義」的な〈少年もの〉は、表現者・メディア制作者がともに〈少年〉の「成長」の回収先として「国家」を明確に用意していた。

 『少年世界』や『少年倶楽部』の表現者・メディア制作者には、「教育者」として物語・記事を提供し、〈少年〉読者たちが〈少年もの〉の解釈/消費を通じて「日本国民」性を獲得することを「理想」として掲げるという姿勢が通底していた。そして「通過儀礼」としての「成長」を説く戦前期の〈少年もの〉の読書空間においては、「公教育」の空間(「学校」)だけでは得られない知識・道徳がメディアを媒介として交換され、〈少年〉読者は「家庭」においてもまた〈少年〉と〈児童〉との重なり合いの間で「共同性と差異の網の目」の中に編制されていたのである。家庭におけるメディア接触によって「もうひとつの学校」空間が〈少年もの〉を媒介として編制され、〈少年〉読者は「国家」に担保された「理想」を受容・理解し、「日本国民」へと「成長」していく中で「少年の理想主義」の「現実性」を読み取ったのである。

 さらに「家庭の教科書」によって付与される「意味」が〈少年〉読者によってそのままの形で受容・理解されるという前提に立ってメディア制作が行われていたことも見逃せない。大正期に喚起された「悪書追放」の思想は、「家庭の教科書」を信じ込むと認識された〈少年〉読者の「読みの自由」を、「良心」的なメディア制作によって保証した。「童心主義」と「対立」関係にあった『少年世界』や『少年倶楽部』の「教科書」としての自己規定もまた、〈少年もの〉の生産−消費:「意味の需給関係」が直接的な形で成立しうる共同体が〈少年〉読者によって編制されるという前提に基づいていたのである。

 だが戦後の〈少年もの〉メディアとしての『少年マガジン』や『少年ジャンプ』は、「公教育の補助」機能の希薄化と商品性の突出的強調によって、「国家」と〈少年〉の「成長」との包摂関係も希薄化させ、同時にその社会的存在性も変容させていった。

 『少年マガジン』に掲載された梶原一騎の原作になる「マンガ/劇画」において、〈少年〉の「成長」は「国家」に担保された肉体的−精神的なレベルではとらえられず、〈少年〉は個人的な「偉大なる人」のイメージを自己増殖させ、そこに至る過程に「成長」の価値を見出される。「第二の佐藤紅緑」を目指した梶原は紅緑作品の「立身出世」のイメージを〈スポーツ/格闘技〉の世界に導入したが、それは常に「ライバル」を必要とする「成長」であり、しかもその最終的な目標が〈スポーツ/格闘技〉以外の「現実」の社会で生きる主体性としては描かれなかったのだ。

 『少年マガジン』が「理想」として掲げた〈少年〉読者の「成長」もまた、新しい表現としての「劇画」を理解・受容する=「劇画(メディア)リテラシー」の位相でのみ可能であり、「元服」=「通過儀礼」としての「成長」は〈少年〉読者に「国民性」のレベルでは要求されない。「劇画(メディア)世代」という共同体意識によって閉鎖的な空間を編制する『少年マガジン』読者は、「成長」の行き着く果てを「国家」によって担保されぬまま、〈少年もの〉から〈青年/成年もの〉へというメディアレベルでのスライドによって「成長」を確認するほかなかったのである。「劇画(メディア)リテラシー」の共有を条件とする共同体における〈少年〉読者は、「偉大なる国民/人」といった「理想」的な身体像の共有ではなく、「1万字にまさる」表現としての「1枚のマンガ/劇画」に接触可能であるという側面に「共同性と差異の網の目」を確認したのである。「リテラシー」を〈少年〉読者に獲得させることは、メディア側の設定した「理想」への一種の「教育/啓発」とも呼べるが、ここではもはや「意味の提示−解釈」というレベルでは〈少年もの〉の生産−消費の関係がとらえられない。「教育する−される」という関係は残しつつも、「教材に内包されているもの」が変容した読者共同体の紐帯もまた変容を遂げたのである。
 『少年ジャンプ』に掲載される〈少年もの〉群は、さらに〈少年〉の「成長」の内実を変容させる。「アンケート至上主義」によって「永遠の“勝利”」が〈少年〉の「成長」の認証となる。〈少年〉はこのとき、〈大人〉になることも〈青年/成年〉へとスライドすることもない。そして「成長」の確かさが犠牲にされた結果として、〈大きな少年〉が〈少年もの〉を読み続けるという「永遠の成長」が可能となり、「通過儀礼」としての〈少年もの〉の社会的存在性はますます希薄になっていった。『少年ジャンプ』にとって最大の「理想」は〈少年〉読者が示す「アンケート」に忠実に従うことであり、「成長」が描かれないというよりも、「成長」を示すような物語展開は「嬉しいこと」として〈少年〉読者が求める“勝利”の概念から外れるために描くことができないのである。そして『少年ジャンプ』を媒体とする〈少年もの〉の生産−消費形態には、〈少年〉読者に理解・受容させるべき「理想」が「国民性」のレベルでも「リテラシー」のレベルでも前もって用意されないため、表現者・メディア制作者の「理想」の提示−読者による理解・受容という従来の〈少年もの〉に付着した「教育/啓発」的機能が発動していない。〈少年〉読者は表現者やメディア制作者から共同体の紐帯を提供されるのではなく、「アンケートはがき」を出すことによって共同体意識を「主体的」に確認するのだ。そして「アンケートはがき」を媒介として交換されるメディアは、もはや「教材」性を完全に脱却し、表現者・メディア制作者との間に交わされた「契約」がソフトとして実現しているかを確認する「商品」と化したのである。

 このように〈少年もの〉で描かれる〈少年〉の「成長」の内実が「国家」の担保を喪失してその目標点を見失っていく過程は、「メディア文化」としての〈少年もの〉が「家庭の教科書」から「商品」へとその存在性を変容させる過程と重なり合っている。さらに〈少年〉読者が編制する読者共同体も、「意味の共有」(「偉大なる国民/人」という「理想」)から「メディアの共有」(「劇画(メディア)共同体」)、「契約」の合意の結果としてのメディア接触へとその紐帯を変容させていった。この変容過程を「社会」のマクロ的な変容ではなく、メディアの生産−消費の機制から論証するとが本研究の課題だったのであり、《梶原一騎》を「自由に読まれるべきテクスト」でも「社会の心性の凝縮された表象」でもなく、〈少年もの〉の系譜上の一事例として取り上げた意図も、「社会」と「メディア文化」とのアナロジカルな接合に異論を提起するためだったのである。つまり本研究は「メディア文化」を、単層的な操作−被操作の媒体として、あるいは社会の直接的な反映としてとらえるのではなく、表現者・制作者の「意味付与」と読者の「解釈」とが多層的にせめぎ合う〈闘争の場〉としてとらえることを目指したひとつの試論なのである。