マスコミュニケーション学会・理論研究部会報告
1996/12/13(於:慶應義塾大学)
 
マンガ研究の現在
−マンガをマンガとして<語る>ために−
 
                                  瓜生吉則
                                 (東大大学院)
 
 手塚治虫の登場からすでに五十年。いま、マンガを語る方法論の精錬が求められている。本報告ではマンガ作品と歩を並べるように展開されてきた<戦後マンガ論>を類型ごとに俯瞰しつつ、現在のマンガ論/マンガ研究が抱える問題点、そしてその解決方法を提示していきたい。
 マンガは小説でもなければアニメでもない。この一見当たり前の事実を前にしながら、従来のマンガ論/マンガ研究は議論の対象として<マンガ>を前にしたとき、なぜかこの「当たり前」のことを忘れてきていた。マンガをマンガとして分析するということの難しさにまず気付き、しかしそこからいかにして脱却していくかという問題こそ、現在のわれわれに求められているのである。
 なお、日本の<マンガ>の誕生をどこに求めるかは論者によって異なっており、まさにこうした議論の多様さもまた現在の<マンガ>が決して一直線に「成長」したわけではないことを示している。しかしことマンガ論/マンガ研究に関してはその量・質ともに戦後社会において顕著に現れてきた点を鑑みて、本報告では現在までの<戦後マンガ論>を議論の射程に入れていることを初めに断っておきたい。
 
1.先行例としての<マンガ論>論 −なにを<語る>べきなのか−
 
 権藤晋[1970]による社会反映論的マンガ論批判
  (具体的には藤川[1963a]、佐藤[1964]ら『思想の科学』グループ批判)
 
 「藤川は、『忍者武芸帳』を一つの壮大な劇性を描出したマンガとして読む以前に、己が政治性において裁断しようとしているのであり、それは明らかに、政治至上主義以外の何ものでもありはしない。換言すれば、藤川は、『忍者武芸帳』が反体制的作品として読めることをもって過大に評価しているに他ならぬということである。」([:139])
 「私は、いま、ある緊迫した状況下に生み落とされたマンガをいとも容易に楽天的な公式左翼的な方法で裁断することにいい知れぬ不安を抱かずにはおれないでいるのである。」([:141])
 
 中島梓[1978]による「マンガ語りのマンガ知らず」批判
 (『思想の科学』1978/9の特集「生きのこった青年文化・劇画」の寄稿者の態度の批判)
 
 「マンガ家たちは発言せず、マンガ論は依然として、れっきとしたジャンルである表現メディアへの方法論でもなければ作家論、作品論でさえなく、「私とマンガ」の域を出ない。・・(中略)・・いま「活字世代」を自称する人びとの口にするマンガ論は、メディア論でもなければ現象論でさえなく、実のところひたすら感情のおもむくにまかせた、思い入れ(「六十年代の白土劇画がすべてだった」!)ないしは差別(「私にはどうしてもマンガをむさぼりよむ若い人のようにはマンガに熱中することができないのである」!)、ないしは軽侮をふくんだ反発(「いまに出版物の大半がマンガに訳されてしまうようになる」!)でしか、ありはしないのである。」 ([1978:251])
 
 呉智英[1986→1990]による辛辣なマンガ論批判
  「啓蒙」の公理への根源的な問いをマンガ評論においても提唱
   「日共の御用評論家」「小学館の御用評論家」「粗雑な民衆文化論者」
   「思い入れ過剰な“文学青年”」「マンガ評論の認知と衒学化」・・・
 
 四方田犬彦[1994]の総括
 
 「一九九〇年代も中盤に入って、最初に手塚治虫の『新宝島』を読んだ世代が六十歳を越すようになったとき、もはやマンガを素朴な世代論と対抗文化の理論だけで論ずることは、ほとんど無意味となった。またマンガを社会諷刺を目的とした笑いと滑稽の絵であると最初に定義付け、そこから帰納して現実のマンガを論じるという方法も、大きな限界につきあたることになった。マンガはとうの昔にこうした枠組みを越えてしまったのだ。」
([:8])
 
 夏目房之介の一貫したマンガ表現論の模索
 
 「(1970年前後にマンガについて:引用者注)発言する知識人は大衆文化にかかわる文芸批評家とか映画評論家、あるいは美術評論家といったふうに専門分野を他にもった人たちでした。彼らの多くがマンガをどう批評したかっていうと、たとえばアトムは戦後の科学万能信仰を象徴してるんだとか、『巨人の星』はいつも勝利がテーマになるから高度成長時代の反映なんだとか、描かれた人物やテーマをいきなり大衆社会の動向や大衆の反映像に読みかえてしまう。」(夏目[1995:14])
 
 つまり、従来の<マンガ論>は、<マンガ>という表現を「時代風潮」もしくは「大衆の心性」といった何かのアナロジーによって分析しようとしてきた。そこでは<マンガ>とはなにか−あるいはなにでないのか−というジャンルの枠組みの丁寧な確定作業が欠けていたとも言える。後述する四方田や夏目のマンガ表現論は、中島の指摘を具体的な分析として実行した点で、現在もっとも注目すべき<マンガ論>なのである。
 
2.社会の中のマンガを<語る> −マンガと読者としての<こども>と<大衆>−
 
 ・「悪書追放」の五十年(竹内[1995]を参照)
 
 戦後間もなくの時期から「マンガ=悪書」という非難が起こる(特に「教育」者から)
 
 赤本批判:1940年代末 「俗悪」性の糾弾
  1950年代半ばには月刊誌に数多く登場しはじめたマンガの「低俗」性が糾弾される
 貸本/劇画批判:1950年代後半から60年代前半 貸本店の衛生面への危惧
  白土三平「忍者武芸帳」や平田弘史「血だるま剣法」などの「残虐」性の糾弾
 戦記もの批判:1960年代半ばから後半 週刊少年誌の「復古的」戦記ものの糾弾
  1967年『少年サンデー』の「あかつき戦闘隊大懸賞」批判が頂点
 ハレンチもの批判:永井豪「ハレンチ学園」のスカートめくり
 残虐もの批判:ジョージ秋山「アシュラ」
 劇画論争:1973年秋 『サンデー毎日』誌上における連続五週間の「劇画」認知論争
  「漫画」と「劇画」の本質論争
 そして「有害図書」指定問題:1990年代前半
  「成人コミック」の指定→地方自治体レベルでの「悪書」追放
 
 「外国からやってきた人は、電車に乗ってみて、露骨な漫画や写真の載った印刷物を広げる日本人の多さにびっくりする。ポルノが解禁されている欧米でさえ、場所も時間も構わずに、これほど堂々と「性」がはんらんしている地域は珍しいだろう。
  都民へのアンケートでも、青少年への影響を憂える声が大きかった。こうした漫画や写真を幼い時から見せられて育つと、どんな人間になるのだろうか。文化の将来を考えて、そら恐ろしい気持ちにもなる。」(『朝日新聞』1990/9/4社説「貧しい漫画が多すぎる」)
 
 読者としての<こども>の実体的な措定→マンガがいかに読まれているのかは等閑視
 <こども>に与えるにしかるべき「良書」概念をも同時に生む
  →手塚治虫は「まんが=おやつ」論を展開せざるを得なくなる
 
 批判する側は「読み」の多様性を無視し、反論する側も「表現の自由」でのみ応戦
  <こども>と<マンガ>をめぐるおわりなき本質主義の戦いの様相を呈す
 
 「読書指導」における障害物としてのマンガ
  :その背景としての「児童文学」からのマンガの排除→『赤い鳥』への望郷
 「児童文学」寄りの雑誌『児童心理』の特集:
  「児童読物の分析」(1954/7)「漫画と子ども」(1964/3)など
 
 「子どもたちが投機的な興味ばかりもってしまったらどういうことになるだろうか。少年少女雑誌の編集者も人の子の親であろう。自分の編集する雑誌から自分の子どもがどんな影響を受けるかを考えてみたらよい。
  結局親と教師が児童読物を批判し評価する目を養うことによって子どもを悪い影響から守るという方法をとらざるを得ないのである。」(『児童心理』1954/7編集後記)
      ↑
      ↓
 「非難する側の中心にいたのが、菅忠道、滑川道夫、阪本一郎などの児童文学者、教育学者であり、それを支持する教師、親たちであった。マンガは、朝鮮戦争以来の頽廃文化のもっとも顕著なあらわれとして、糾弾されてきたのだ。・・(中略)・・小川未明、浜田広介を代表とする大正期の童話ルネサンスへの積極的評価、および、それとは思想性、表現の方法において対極をなす昭和前期の少年小説流行への拒否反応。そうした過去の記憶に重ねて、眼のまえのマンガが否定的にあつかわれていたのである。」 (竹内[1989:14-15])
 
 ・大衆(若者)文化としてのマンガ論の登場(1950年代後半以降)
 ◎『思想の科学』グループ
  鶴見俊輔 佐藤忠男 藤川治水 尾崎秀樹・・・
 「悪書追放」の言説が持っていた啓蒙/教育的な視角ではなく、戦後日本社会に登場した新しい「大衆文化」のひとつの表現としてマンガをとらえる
 
 しかし60年の「全学連」と白土三平の「劇画」とを安易に結びつける反映論の視角がみられもした(前掲の権藤[1970]などの批判)←「進歩」的知識人のマンガ擁護論の陥穽
 ↓
 同様の視角は1968年をひとつの頂点とする<全共闘>運動と『少年マガジン』(さらには同誌の人気連載作「あしたのジョー」)との相関関係を強調することで復活
 
 「我々はこの歴史的任務を遂行しうることを誇りに思う。我々は、日本の諸同志に、心から感謝する。この歴史的任務を我々に与えてくれたことを。我々は、我々の与えられたこの歴史的任務を最后まで貫徹するだろう。・・(中略)・・
  そして最後に確認しよう
  我々は“明日のジョー”であると。」(田宮[1970:282-283])
 
 「力石は死んだのではなく、見失なわれたのであり、それは七〇年の時代感情のにくにくしいまでの的確な反映であると言うほかはないだろう。」(寺山[1970])
 
 例えばひとつのマンガ論にとっての共通一次問題
  :「あしたのジョー」を説明せよ
 この問題をいかに説明するかはマンガを<語る>視角を不可避的に露にする
 
 ・集大成としてのマンガ=サブカルチャー(神話解体)論
  宮台・石原・大塚[1993]
   (コミュニケーション)システム論によるマンガ論の総括と乗り越えの志向
   「マンガ文化」の成熟を経て、<戦後日本社会>を語る素材として議論される
 
 「サブカルチャー論がしばしば興味を抱いてきた「作品に表現されたイデオロギー」の分析(最近では佐藤健志[1992])には、私たちは関心がない。私たちにとっての問題は、そうしたイデオロギーの成り立ち自体を可能にしている前提−やはりコミュニケーション・システム−なのである。」
([:141])
 
 単純な社会反映論を乗り越えようとした点で画期的な試み:徹底した外在的視角
  しかしその背後に「時代情況」の前提が密輸入されてしまっている点も否めない
 =かつての<全学連>世代、<全共闘>世代のマンガ論が「同時代の空気」を共有していることを前提としていたのと同様、1980年代的サブカルチャーの共有が前提となった「神話解体」になってしまっている
 →一面では社会反映論を乗り越えつつも、新種の「世代論」となってしまう
 
 「60年代に、「個人」を疎外する「社会」への否定的な意識が前面に押し出されていた背景には、都市と農村の格差や、都市における階層格差を、はっきり目に見えるかたちで意識せざるを得なかった当時の社会状況がある。」([:149])
 
 「こうした物語(「あしたのジョー」:引用者注)は、この時代の<若者>が目指す生き方と共振しており、それゆえ彼らは、「わが内なる下層」たる主人公に強く自己同一化した。よど号ハイジャックの犯人の1人が「われわれは明日のジョーである」と言ったのは、象徴的だった。」([:152])
 
 しかし、作品がいかに掲載されどう読まれたかという位相と、その作品を取り巻く情況との相関関係は決して単相的ではない→社会情況のみでは説明不可能な側面に注目した意義
 
3.芸術作品としてマンガを<語る> −マンガを描くという行為−
 
 ◎『漫画主義』同人によるマンガ=芸術論
 石子順造 梶井純 菊池浅次郎 権藤晋
  自律した芸術的行為としてのマンガ作成行為への注目
 
 背景としての1960年代の「劇画」の成立
  貸本というマイナー・メディアを基盤としたアンチ「漫画」の登場
 →読者=「大衆」の嗜好の産物(そのひとつの形態が社会の写し鏡としてのマンガ論)
  ではない、マンガの制作者の志向に重心を据えたマンガ評論の登場
 <劇画>の登場によって漫画はようやく<マンガ>の道をたどり始める
 
 「諦観を抱くには若く、絶望を語るには口を持たず、怒るにはその手を持たない、孤立した無数の人々が、ありとあらゆる楽観的な幻想が消え消えては現れる環境の中で、劇画に接近し、奈落へ奈落へとの足どりをとった」(権藤[1969b:244-245])
 
石子順造 『戦後マンガ史ノート』(石子[1975=1994])
 
 「表現が表現として成立していく情況なり歴史なりを抜きにして、「忍者武芸帳」の政治性を語るものは、自らの不毛な政治性を公表する以上に何も語っていない」([:115])
 
 「マンガを表現としてアクチュアルに成立せしめているのは、あくまで価値的な芸術としての評価などとは無縁な、生活実感そのものであるだろう」([:160])
 
 マンガ表現は単純に社会を反映しないという前提は、それまでの悪書追放運動の言説や『思想の科学』グループの言説を批判した。しかし劇画という「アンチ・マンガ」表現を時として称揚しすぎたために、劇画の本質をマンガとの絶対的距離において語ってしまうという劇画本質主義を示すことがあった。
 しかし手塚治虫とは異なる表現を目指していた劇画を<語る>作業は、同時にマンガとはいかなる表現なのか、という問いを内包しており、マンガ表現論への萌芽を見出すこともできる。
 
4.メディアとしてマンガを<語る> −マンガを<読む>とは何事か−
 
 ◎石子順造の先見の明(前掲 石子[1975=1994])
 
 劇画への注目←表現が表現として成立する「場」への徹底的なこだわり
 
 「マンガは、あるメッセージとしてマンガであるばかりではなく、メディアとしてもマンガである」([:80])。
 「(劇画やマンガは:引用者注)メディアの機能や性格と不可分な表現としてある」([:9])
 「そもそもは、裸電球と土間に象徴される貸本店の書棚をびっしりうずめていた貸本マンガとして、劇画は劇画なのであった。そして、であることによってこそ、劇画はまた、すぐれて戦後日本のマンガであった。」([:81])
 
 石子がマンガの新たな表現としての劇画に愛情を示したのは、表現の場としての表現媒体が従来の少年向け月刊誌/週刊誌ではない「貸本」の中から登場した事実を注目していたからだった。
 
 ◎中島梓の先見の明(中島[1978])
 
 「マンガは、活字表現の方法論の、絵による水増しではない。マンガは、マンガだ、マンガ以外のものとの比較によって論じるべきではない。・・(中略)・・マンガは、マンガとして、語られるべきだ。」([:252])
 
 「少女マンガ」というもうひとつ戦後の新しいジャンルを当たり前のように消費してきたことからくる、「活字」対「マンガ」の対立構図の不毛さへの直感
 石子とは議論の立て方は異なるが、『思想の科学』グループの、時としてスノビズムに陥りがちなマンガ論を、自律したメディアとしてマンガをとらえることで再考することを提唱
 
 ◎呉智英の<戦後マンガ史>の総括(前掲 呉[1990])
 
 マンガ表現を<語る>ことへの根源的な再検討の必要性
 
 「そもそも、マンガだけに成立する特殊な評論がありうるはずがない。マンガという個別分野における固有性を持った普遍的評論があるのだ。」([:101])
 
 マンガを<語る>思想性を問う一方で、マンガの表現構造を初めて明らかにする
  一般絵画の「現時性」と言語の「線条性」との結合表現としての<マンガ>
 
 ◎大塚英志 『戦後まんがの表現空間 −記号的身体の呪縛−』(大塚[1994])
 
 物語消費のひとつの素材としてのマンガ
  少女マンガへの造詣と非主流の梶原一騎への愛着
 手塚治虫のマンガ=記号論を「有害図書」問題と絡めて論じる
 
 「手塚によって提出された戦後まんがは表現としては極めて明快な限界を持った形式であり、しかしその限界はまさに「まんがだから」と許容されることで、当のまんが自身にとって問題としてつきつけられることなく、ここに至っている。表現としての未熟さ、杜撰さが放置されたまま肥大し、しかも描き手も読者も無垢なままにその内部にとどまり、さらにまんが界全体が意識的に批評を排除することでその未熟さと限界を守り続けてきた(まんが評論の否定、という点でも手塚は最大のイデオローグだったことは忘れてはなるまい)。」([:36])
 
 ◎四方田犬彦 『漫画原論』(前掲 四方田[1994])
 
 「漫画を漫画たらしめている内的法則の検討」([:10])
 「漫画批評の中から「文学」などといった曖昧なものを追放し、漫画を漫画の自律的構 造のもとに語らしめたい」([:295])
   後述『マンガの読み方』に先だったマンガ表現の理論的集成
 
 「ひとたび超越的瞬間の形而上学が崩れ去り、運動が凡庸なる瞬間の継起によって分節 表象されるに至った時代において、ふたたび虚構として再構成された特権的瞬間を体現 している」([:19])漫画
 
 「漫画における物語の語られ方を考えるときもっとも心掛けるべきこととは、漫画に先立って、別個に自律した物語なるものが存在し、それが一定の手続きを経て、手際よく「漫画化」を施されるわけではない、ということだ。漫画には漫画に独自の説話行為のあり方が存在しているという、厳然たる事実といってもよい。」([:29])
 
 コマ(枠線)、描線、風船(吹き出し)、オノマトペ
 
 顔:グラフィックな意味素(セーム)の読み取りをめぐる複数のコードに準拠した表象
  登場人物、感情、行動の各コード
 
 漫画のうちにあって、漫画においてしか成立しえない二つの法則
  二度と同じ顔が描かれることはない。
  同一の顔を際限なく描き続けることができる。
 
 「いかなる場合にも手書きであること。それがコマと呼ばれる本質的に非連続な単位の連鎖によって形造られていること。漫画のもつこの二つの特性を逆に読み替えるなら、描かれた顔を弁別し、主体へと統合するための二つの方法に到達することができる。それを範列的方法と連辞的方法といってもよい。顔の変形歪曲の幅を見定め、描かれる角度と表情を考慮することは、範列的である。前後のコマとの文脈的な関連において行為者を認定することは、連辞的である。」([:147])
 
 漫画の「文体」:匿名性ゆえに可能なパロディ
 
 ◎夏目房之介によるマンガ=メディア論:「模写」の感知によるマンガ分析
 
 「作家の「思想」なんつっても、技術を含む表現が、理念を可能にしなけりゃ意味がない。むしろ、どんなごたいそうな「思想」を作家がもってようと、描線やコマ構成っていう表現が、具体的に理念を表現し得ていなければ、評価にあたいしない。だから僕はマンガの「思想」を描線やコマのなかに、その生理みたいな場所にみたいんです。」(夏目[1995:124])
 
 ストーリー・キャラクター分析に偏向していたマンガ論の陥穽を突く
 マンガ家の所作をマンガを<読む>所作のレベルにまで敷衍する作業
 描線とコマというマンガの基本構成素への注目←「模写」を通してこそ感知可能
 
 「たしかに、桑田二郎や関谷ひさしの異質な線よりはマネしやすいが、同じ系列の横山光輝や石ノ森章太郎よりマネしにくいのが手塚マンガの線だ。より即物的でスマートな前者にくらべれば、手塚マンガは丸っこい求心的な存在感にひどくこだわっているような気がする。桑田、関谷がコマからコマへ軽く流れていってしまうとすれば、手塚線はひとコマの中で完結した世界になろうとする気持ちが強いかもしれない。」(夏目[1992a:76])
 
 手塚治虫を「模写」する←→手塚の「マンガ=記号論」の証明
 
 絶え間なくリライトを重ねる表現者・手塚治虫
     ↓
 文献学的な描線の変化への注目と<戦後マンガ>の多岐化の確認
  例:レオ(「ジャングル大帝」)の表情
 
 集大成としての『マンガの読み方』(別冊宝島EX[1995])
  (そのパロディ的原型としての相原コージ・竹熊健太郎『サルでも描けるまんが教室』)
 
 マンガ表現の基本構成要素:描線 コマ マンガ記号(形喩、音喩)の百科全書的総覧
 
 描線:道具(ペン)の機能 筆 カブラペン Gペン 丸ペン 製図ペン サインペン
 コマ:リズム 圧縮感と開放感(大きさ 縦横の比率) 間白
 形喩:漫符と効果
 音符:オノマトペの図像化 無音の音符「シーン」
  吹き出し
 
 
 
5.マンガを誠実に<語る>ということ−まとめにかえて−
 
 本報告では<戦後マンガ>をめぐる言説を拾い集めながらその問題点を指摘してきたが、ここで指摘された問題は決してマンガにのみ特殊なものとして結論されるべきではないだろう。いわゆる「大衆文化」(あるいははもう少し限定的に「メディア文化」)を<語る>ことは、その対象が「大衆文学」でも「テレビゲーム」でも、対象が異なるとしてもその<語る>視角、つまり方法論の共有が求められるべきだからである。
 
 少しばかり倫理的な言い方になるが、対象/素材である作品や作者を決して自明視しないこと、ひいてはそこに内在する(かもしれない)メッセージやイデオロギーを自明視しないことが求められる。ここに気付かない限り、本報告で取り上げた単純な社会反映論を乗り越えることはできない。社会反映論すらもがひとつのイデオロギーに寄りかかってしまっていた点を乗り越える視角として、マンガ=芸術論やマンガ表現論の試みが登場したことを軽視すべきではないのである。
 マンガを誠実に<語る>こととは、そのメディアとしての側面に注目すること、またマンガを<描く>こと(生産)と<読む>こと(消費)とが交錯する重層的な空間をとらえる視角に立つことである。どのような「批判的読解」も可能ではあるが、なぜそうした読解が可能になっているのか、つまりマンガの<読み>が可能となる社会性や歴史性を捨象したところでは、わざわざマンガを語る意義は失われてしまう(マンガ愛好家のエッセーのほとんどが唯一気付いていないのが、このマンガの自律性である)。
 「大衆文化」として戦後日本社会においては定着したかに見えるマンガ。いまやマンガを<読む>ことのできる者が誰でもその魅力について<語る>こともできるという情況が生まれている。だが、一見安易な作業に見えるマンガの読書は、おそらくマンガのみを対象にしていては<語る>ことができないだろう。すでに小説の読書についてはさまざまな論考が提出されており、参照すべき視角を提出しているものも多い。マンガのリテラシーは、マンガ以外の読書対象をも視野に入れつつ、その特殊なありようを記述できるはずである。
 繰り返して強調するが、マンガ愛好家のエッセイとの差異は、どのようにマンガが読みうるか、という内在的な視角からだけでは浮かび上がってこない。「メディア論」もしくは「社会学」的な視角の有効性は、「マンガの読書空間」を考察すること、ひいてはマンガというメディアの存在(社会性/歴史性)を実定的に記述することにあるのだ。
 
 最後に、上で触れた四方田の示唆的な言葉を引用して本報告を締めたい。1990年代後半の現在、あえてマンガを<語る>ことに意義を見出すとすれば、この四方田の言葉は今一度咀嚼されるべきだろう。
 
 「要するに漫画がとめどもない多様化を見せるのと同様に、漫画論も戦略として多様に分岐していくのが現状であって、そこから導き出せる結論とは、もはやいかなる統一的な観点に立っても、そこから日本のマンガの全体像をただちに把握することはできないということである。」(四方田[:9])
 
 
参考文献
 
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バトルコミック推進会 1995 『対決!!ジャンプvsマガジンvsサンデーvsチャンピオン』
 データハウス
Berndt,J.,1994 BilderflutenPhanomen Manga  佐藤和夫・水野邦彦(訳) 『マンガの国ニッポ ン −日本の大衆文化・視覚文化の可能性』 花伝社
別冊太陽 1986 『子供の昭和史 昭和10年〜20年』 平凡社
1987 『子供の昭和史 昭和20年〜35年』 平凡社
1990 『子供の昭和史 昭和35年〜48年』 平凡社
別冊宝島13 1979 『マンガ論争』 JICC出版局
別冊宝島257 1996 『このマンガがすごい!』 宝島社
別冊宝島EX 1995 『マンガの読み方』 宝島社
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1963b 「鉄腕アトム論」 『思想の科学』1963/10 pp.74-92
1967 「漫画界の日本再発掘」 『思想の科学』1967/10 pp.61-64
藤島宇策 1984 『アトムがいてドラえもんがいて−マンガのアイドルたち−』 清水書院
月刊『創』編集部[編] 1991 『「有害」コミック問題を考える』 創出版
現代風俗研究会[編] 1993 『マンガ環境 現代風俗'93』 リブロポート
権藤晋 1969a 「かつて劇画は生き死をその本体としてあった 戦後意識の惨めな展開と劇画」
 『漫画主義(六号)』(竹内オサム・村上知彦[編]1989『マンガ批評大系第1巻』pp.175-195)
1969b 「劇画 戦後民主主義の奈落」 石子順造・梶井純・菊池浅次郎・権藤晋
 『現代漫画論集』 青林堂 pp.237-247
1970 「マンガ文化の風化と奈落」 『現代の眼』1970/2 pp.138-145
長谷川つとむ 1990 『手塚治虫に関する八つの誤解』 柏書房
今村太平 1992 『漫画映画論』 岩波書店
石上三登志 1989 『手塚治虫の時代』 大陸書房
石子順 1988 『現代漫画の主人公たち』 草の根出版会
1989 『戦後漫画の主人公たち』 草の根出版会
石子順造 1967 『マンガ芸術論』 富士書院
1970 『現代マンガの思想』 太平出版社
1974 「危機としてのキッチュ−「愛と誠」考」 『現代の眼』1974/9 pp.52-61
1994 『戦後マンガ史ノート』 紀伊國屋新書
石子順造・梶井純・菊池浅次郎・権藤晋 1969 『現代漫画論集』 青林堂
蕪木和夫 1994 『劇画王 梶原一騎評伝』 風塵社
梶原一騎 1979 『劇画一代』 毎日新聞社
加太こうじ・佐藤忠男 1978 「西田幾太郎か白土三平か」 『中央公論』1978/11 pp.226-236
片寄みつぐ 1980 『戦後漫画思想史』 未来社
川本三郎 1978 「この奇妙なマンガを それからどうしたかというと 実はまだ 読んでいるの
 です」 『思想の科学』1978/9 pp.15-20
河崎実 1994 『タイガーマスクに土下座しろ!』 風塵社
コミック表現の自由を守る会[編] 1993 『誌外戦』 創出版
呉智英 1986→1990 『現代マンガの全体像[増補版]』 史輝出版
丸山昭 1993 『まんがのカンヅメ 手塚治虫とトキワ荘の仲間たち』 ほるぷ出版
三島由紀夫 1970 「突拍子もない教養を開拓してほしい 劇画における若者論」 『サンデー毎日』 1970/2/1(竹内オサム・村上知彦[編]『マンガ批評大系 第1巻』 1989 平凡社 pp.168-172)
宮台真司・石原英樹・大塚明子 1993 『サブカルチャー神話解体』 PARCO出版局
峯島正行 1970 『現代漫画の五十年−漫画家プライバ史』 青也書店
水野良太郎 1991 『漫画文化の内幕』 河出書房新社
村上知彦 1991 『イッツ・オンリー・コミックス 黄昏通信[増補版]』 廣済堂出版
村上知彦・高取英・米沢嘉博 1987 『マンガ伝』 平凡社
長井勝一 1987 『「ガロ」編集長』 ちくま文庫
中島梓 1978 「大人はマンガを読まないで」 『中央公論』1978/11 pp.248-257
夏目房之介 1991 『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』 双葉社
1992a 『夏目房之助の漫画学』 ちくま文庫
1992b 『手塚治虫はどこにいる』 ちくまライブラリー
1995 『手塚治虫の冒険 戦後マンガの神々』 筑摩書房
1996 『マンガはなぜ面白いのか その表現と文法』 日本放送出版協会
西村繁男 1994 『さらばわが青春の「少年ジャンプ」』 飛鳥新社
大下英治 1995a 『手塚治虫 ロマン大宇宙 上巻』 潮出版社
1995b 『手塚治虫 ロマン大宇宙 下巻』 潮出版社
大塚英志 1987→1988 『[まんが]の構造 商品・テキスト・現象 』(増補新版) 弓立社
1989 『物語消費論 「ビックリマン」の神話学』 新曜社
1992 『システムと儀式』 ちくま文庫
1994 『戦後まんがの表現空間 −記号的身体の呪縛−』 法藏館
尾崎秀樹 1978 『漫画のある部屋』 時事通信社
斎藤貴男 1995 『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』 新潮社
榊原英城 1992 『手塚治虫・覚書』 近代文藝社
桜井昌一 1985a 『ぼくは劇画の仕掛人だった【上巻】 劇画風雲録』 東考社
1985b 『ぼくは劇画の仕掛人だった【下巻】 劇画人列伝』 東考社
桜井哲夫 1990 『手塚治虫 −時代と切り結ぶ表現者』 講談社現代新書
佐藤まさあき 1984 『劇画私史三十年』 東考社
佐藤忠男 1959 「少年の理想主義について −『少年倶楽部』の再評価−」 『思想の科学』
 1959/3 pp.15-31
1964 「白土三平の漫画発想」 『朝日ジャーナル』1964/2/16 pp.
1980 『子どものアイドル』 文化出版局
1993 『大衆文化の原像』 岩波書店
佐藤健志 1992 『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』 文藝春秋
Schodt,F,L, 1983 Manga!Manga! The World of Japanese Comics, KODANSYA INTERNATIONAL
関川夏央 1991 『知識的大衆諸君、これもマンガだ』 文藝春秋
清水勲 1989 『「漫画少年」と赤本マンガ −戦後マンガの誕生−』 刀水書房
1991 『漫画の歴史』 岩波新書
副田義也 1968 『魅惑の少年まんが』 川島書店
1983 『マンガ文化』 紀伊國屋書店
SUPER STRINGSサーフライダー21(編・著) 1993 『「あしたのジョー」 心理学概 論 “矢吹丈”−その心の病』 ユニオンプレス
鈴木志郎康 1968 「つげ義春の魔術」 『思想の科学』1968/9 pp.56-58
宝島編集部[編] 1990 『1970年大百科』 JICC出版局
 1991 『1960年大百科』 JICC出版局
 1992 『ぼくらの時代大年表』 JICC出版局
高取英 1993 『あしたのジョーの大秘密 −矢吹丈とその時代−』 松文館
高取英[編] 1994 『「梶原一騎」をよむ』 ファラオ企画 
高取英/喜国雅彦 1993 『少年マンガ画報』 ファラオ企画
竹内オサム 1989 『マンガと児童文学の〈あいだ〉』 大日本図書
1995a 『戦後マンガ50年史』 ちくまライブラリー
1995b 『子どもマンガの巨人たち −楽天から手塚まで−』 三一書房
田宮高麿 1970 「我々は“明日のジョー”である」 『文藝春秋』1970/6 pp.276-285
寺田ヒロオ[編著] 1981 『“漫画少年”史』 湘南出版社
寺光忠男 1990 『正伝・昭和漫画 ナンセンスの系譜』 毎日新聞社
寺山修司 1970 「誰が力石を殺したか 「あしたを」破産させられたあしたのジョー」
 『日本読書新聞』1970/2/16
手塚悦子 1995 『夫・手塚治虫とともに 木洩れ日に生きる』 講談社
手塚治虫 1977 『手塚治虫ランド』 大和書房
1978 『手塚治虫ランド2』 大和書房
1988 『ぼくはマンガ家 手塚治虫自伝・1』 大和書房
1990 『手塚治虫とっておきの話』 新日本出版社
1994 『マンガの心 発想とテクニック』 光文社
1995 『手塚治虫対談集 続[虫られっ話]』 潮出版社
手塚治虫初期漫画館 別巻 1980 『論集 手塚漫画のはじまり』 名著刊行会
手塚プロダクション+村上知彦[編] 1995 『手塚治虫がいなくなった日』 潮出版社
豊福きこう 1992a 『水原勇気 0勝3敗11S』 情報センター出版局
1992b 『ブラック・ジャック「89.5%」の苦悩』 情報センター出版局
鶴見俊輔 1973 『漫画の戦後思想』 文藝春秋
1991 『戦後日本の大衆文化史 一九四五−一九八〇年』 岩波書店
内田勝 1980 「マンガを語る」 『青年心理』1980/3 (竹内オサム・村上知彦[編]『マンガ批 評大系 第3巻』 1989 pp.135-150)
1992 「“賭け”という気はしませんでした」 『いきなり新連載1』 JICC出版局
 pp.28-32
1994 「『少年マガジン』と梶原一騎」 高取英[編]『「梶原一騎」をよむ』 ファラオ
 企画 pp.176-184
山口昌男 1960 「子供のためのマンガから 独断的俗悪マンガ論」 『日本文学』1960/9
 (竹内オサム・村上知彦[編]『マンガ批評大系 第1巻』 1989 平凡社 pp.159-167)
山本明 1978 「劇画的世界としての現代」 『中央公論』1978/11 pp.215-225
山根貞男 1983 『手塚治虫とつげ義春 現代漫画の出発点』 北冬書房
吉田和明 1992 『あしたのジョー論』 風塵社
吉弘幸介 1993 『マンガの現代史』 丸善ライブラリー
四方田犬彦 1994 『漫画原論』 筑摩書房