※原文の傍点は太字に変更した。

マンガ文化
瓜生吉則

独特の文法を持つ表現であり、かつ巨大な市場で日々大量に流通する商品でもあるマンガ。特定の年齢・階層の嗜好品ではもはやなく、社会の「当たり前」の風景となった、この不思議なメディアについて考えることは、自明視されがちな「文化」のありようを内側から捉え返すことへとつながっている。
【キーワード】マンガ文化 表現 商品


“マンガ大国・ニッポン”

「大人はマンガを読まないで」という挑発的なタイトルのエッセイが『中央公論』に掲載されたのは1978年のこと1。マンガへの愛着をふくらませながら成長してきた当時の青(少)年にとって、マンガはなによりも「ぼくらのもの」2であり、訳知り顔で美術や文学とマンガとを並べてみせる「大人」は、マンガの本当の面白さなど分かりようもない門外漢でしかなかった。同時期に発せられた、「まんがが社会学の対象である限り、ぼくらはまんがとの愛の交歓を土足で踏みにじられる心配はなく、対抗するぼくらの論理を構築する必要もなかったのである」3という村上知彦による啖呵は、手塚治虫を(とりあえずの)源流として、劇画、少女マンガ、青年マンガと次々新しいジャンルが生まれ出てきた<戦後マンガ>に自然と共振することのできる、特別な感受性を具えた「ぼく(ら)」の至福感の表明だったと言えよう。
それから四半世紀が経過し、「ぼくら」も齢を重ねて「大人」になった21世紀の日本。都市の大型書店には広大な専門フロアが設けられ、駅の売店やコンビニではマンガ雑誌が毎日うずたかく積まれている。国際展示場が人波で溢れる同人誌即売会は年々その規模を拡大し、アジアや欧米への「輸出」、アニメやゲームなどとのタイアップ(メディア・ミックス)も見慣れた光景となった。『教育白書』はマンガを「重要な現代の表現」と特記し4、マンガを真正面から「学の対象」とする日本マンガ学会も2001年に(村上も役員の一人となって)設立された。出版物全体の販売金額の二割、販売部数では実に四割弱を占める5マンガは、もはや特定の年齢・階層の人々の嗜好品などではなく、社会に根付いた立派な=マジメに語る価値を有した「文化」である、と言っていいのかもしれない。

表現としてのマンガ/商品としてのマンガ
では、その「文化としてのマンガ」はどのように記述され得るのだろうか。日本マンガ学会がその「設立趣意書」で指摘しているマンガの特性をまずは参照してみよう。
「今日の日本において、マンガは、娯楽の一種としてのみならず、言語や映像とはまた異なる、独自の形式を有するメディア、ないしコミュニケーション手段としても、社会のきわめて広い範囲にわたって、浸透しています。 その文化的・社会的重要性に関する意識は、急速に盛んになりつつある日本のマンガの海外への輸出などとも関わって、昨今ようやく高まりつつあると言えるでしょう。」6
読者がほとんど無意識のうちに作品と取り交わしている表現上の「約束」の集積。そこに「独自の形式を有するメディア」としてのマンガの特性を見出した論者として、1990年代に“マンガ表現論”を精力的に展開した夏目房之介がいる。「マンガの「思想」を描線やコマのなかに、その生理みたいな場所にみたい」7とする夏目は、作品のテーマや作中人物の性格、物語の展開などを読者に感得させる物質的形式に注目した。夏目以前に(あるいは以後も)数多く提出された/ている、社会情況や作家の生い立ちなどとマンガの「内容」とを安易に結びつけるマンガ論が、いつの間にか「ほかならぬマンガを語ること」から逸れてしまうのは、「言語や映像とはまた異なる」文法を獲得してはじめてマンガは読むことができる、という点に無自覚だからだろう。というか、それほどまでに日本の読者はマンガの特殊な文法を肉体化しているのである。
とはいえ、マンガは作家がペンで紙の上に描いただけで完結するモノではない。なんらかの意図=メッセージが特定の文法で表現されたとしても、それが読者の手元に届くには、雑誌や単行本として大量に印刷/複製され、社会に流通しなければならない。市場に流通する「商品」としての側面を抜きがたく持っている現代のマンガは、美術館や博物館で大切に陳列・保存される芸術作品とは「コミュニケーション手段」が全く異なっているのだ。初期劇画と貸本との密接な関係や、週刊少年誌が編制した読者共同体、月刊少女誌における付録とキャラクターとの結びつきなど、作者と読者とを架橋するメディアとしてのマンガのありようは、“表現論”とはまた別の位相で考察する必要があるだろう。
ほかにも、「商品」として提供されたマンガが読者にどのように、どんな場所で受容されているのか(読者論・読書論)、青少年の「健全な発育」に悪い影響を与える「悪書」として糾弾され続けてきた歴史8、産業形態や国際化の問題など、「マンガ文化」への切り口はいくらでも見つけられる。その点、良くも悪くもマンガは雑然とした、とらえどころのないメディアであり、各論者がマンガの姿をとらえようとする手つきそのものもまた、「マンガ文化」の一断面なのである。

「マンガ文化」の地平
ところで、日本社会で生まれ育った人間にとっては「当たり前」のマンガの(表現的・商品的)特性は、外国人にとって必ずしも「当たり前」ではない。前出の夏目房之介は、その背後には“異文化問題”に限られない「流通や市場や社会の客観的な理由があったり、現実的に処理せねばならない多くの課題がひそんでいる」と指摘し、国際的な視野で「日本マンガ」を相対化しながら今後の道筋を模索している9。“表現論”の有効性を実践によって示してきた夏目が半ば必然的に“商品論”に赴いたという事態は、“表現論”の限界でも、また“商品論”の優位を示すものでもなく、「マンガ文化」なる概念が、その内側にいる人間にとって自明視されがちであること、またそれを批判的に検討するためには複数の補助線を引く必要があることを示唆していよう。
学的権威に基づいて専門家が優劣を判定するのではなく、玉石混淆の雑誌媒体で読み飛ばされながら淘汰されていく複製作品、という特性を帯びつつ、戦後日本のマンガは量的・質的な発展をとげてきた。その広いすそ野を俯瞰する地点を獲得するべく、今後はアカデミズムで「認知」されたこともあり、文学や美学、経済学、社会学、メディア論・・・といった既存のディシプリンを援用した研究を通じて、「日本−マンガ−文化」のありようが記述されていくことだろう。しかし、かかる「学問」の手続きが、ただ論者の主張や方法論の有効性を正当化するためだけに用いられては、マンガ(文化)研究のそもそもの出発点:「マンガをマンガとしてとらえること」はまたしても見失われてしまいかねない――そういう語り方すら許容してしまうところもまたマンガの特性なのだが。
表現、生産−消費、歴史、環境、言説。マンガに関わる様々なモノ−コトを語るコトバを少しずつ耕してcultivateいくという、ある意味では非常に地味な作業によってしか、「マンガ文化Manga Culture」の地平は切り拓かれないだろう。そこが沃野なのか荒野なのかは、もちろんまだ誰も知らない。
 
[ブックガイド]
[1]『別冊宝島EX マンガの読み方』(1995年、宝島社)マンガをマンガたらしめている「約束」を緻密に集積したマンガ表現の百科全書。
[2]石子順造『戦後マンガ史ノート』(1994年、紀伊國屋書店)「劇画」を主軸に、メディアとしてのマンガのあり方、その<場>のアクチュアリティを論じている。
[3]夏目房之介『マンガ 世界 戦略』(2001年、小学館)“マンガ表現論”の旗手による、国際化時代の“マンガ商品論”。

1中島梓「大人はマンガを読まないで」(『中央公論』1978年11月号)
2村上知彦『黄昏通信(トワイライト・タイムス) 同時代まんがのために』(ブロンズ社、1979年)
3村上、前掲書
4文部省『教育白書 平成12年版』
5全国出版協会出版科学研究所編『2003出版指標 年報』(全国出版協会出版科学研究所、2003年)
6日本マンガ学会ウェブサイト http://www.kyoto-seika.ac.jp/hyogen/manga-gakkai.html
7夏目房之介『手塚治虫の冒険』(筑摩書房、1995年)
8竹内オサム『戦後マンガ50年史』(筑摩書房、1995年)
9夏目房之介『マンガ 世界 戦略』(2001年、小学館)